自然生村風景
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田植えの終わった小川地区寺の下

下図は撮影場所を上からみたgooglemap。中央の池の様なのがこの田圃
丁度田植え前で水が張ってある。撮影は田の右の道路から左(西)方向
地区の中心地でかっては店や水車小屋があったが今はもうない。
下図上に見える、寺の境内で行われた夏の大イベント、盆踊りもとうの昔になくなり、鞨鼓踊りの伝承も絶えた。
正面の山は明星ケ岳、左山裾にシャープ亀山工場を始め、工場が並ぶが、当地とは全く関係なく、過疎化が進む(苦笑)


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  全戸合わせても150軒もない山村だが、城があった。
上の写真を少し下右を開示してもらうと、こんもりとした茂みがあるのがそれである。
小川城と呼び、室町期に築かれ、伊勢平氏の流れをくむ関氏の家臣小川氏が住み、鈴鹿の山裾を北に伸びる道を扼している。
戦国の中勢地区を支配した関氏は本拠を関から亀山に移し、鹿伏兎、国府、峰、神戸に支城を築いて一族を配した。
信長の伊勢侵攻に抵抗したがすぐに降り、信長三男・三七丸(後の織田信孝)が神戸氏の養子になり、一族はこれに従った。
本能寺の変で信長が倒れ、後継を巡る争いに柴田勝家に組した滝川一益が亀山で秀吉に叛旗を上げたが敗れて桑名に走る。

この小川城も秀吉の亀山攻めの後、廃城にされたと言われている。
舌状台地の端に築かれており、台地側に土塁を築いている。その外側に空堀があったのだろうが、今はない。
一番上の写真で田圃の左、影になっているのが前田川であり、外堀の役目を果たした。
関や亀山を攻める勢力としたら北や東からであろうとした関氏は、鈴鹿山脈から派生した丘陵にいくつかの城を築き、
明星ケ岳から伸びる丘陵の南に白木城を、そして北にこの小川城を備えた。
土塁跡 前の細道は今なら県道号関 水沢線
城跡近くの石仏
城跡下にある五輪塔
城跡からみた風景。右上がお寺、その左下、写真中央下が一番上の写真の撮影地

将に村の小学校と言えるのが白川小学校だ。 URL:http://www.kameyama-mie.jp/~kblog/shirakawa/
どこにでもあるような田舎の木造校舎だが、実際に使用されている例はすくなく、文化庁より有形文化財に指定されている。

 


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